手近に親切な指導者、先輩がいて、自分を導いてくれる、そういう人が会社に
いる人は幸せだと思います。
しかし見方によれば、指導者のいないところにこそ、自らの発展というものが
考えられる、ということも言えるのではないかと思います。
蓄音機や白熱灯などを発明したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそ
うです。それでみずからあらゆる事物に関心を持ち、そこに指導者を見いだしま
した。汽車にのれば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見いだしたわけです。
みずから開拓する気持ちになれば、行く道は無限に開かれている、師は無数に
存在していると思うのです。
(松下幸之助翁 PHP研究所 1日1話)
私自身は師匠と呼べる実在人物はいませんでしたが、目に見えないもの、悲しみ、
辛さ、喜び、楽しみを師匠としてきたような気がします。ちょっとかっこいいかな・・
「なぜ、わたしだけこんな目にあうのか」「なんて幸せなんだろう」この相反する言葉
をこの一生の間でどれだけ考えたことでしょうか、今の年齢になってわかること、
10年後にわかることってあると思いますが、人生はバランスなのかもしれません。
つねづね師匠と思えるものを持つことが重要なのかもしれませんね。
「人みなわが師」ならぬ「事みなわが師」。
Q&A
Q:あなたにとっての師とは、誰ですかまたは何でしょうか?
A:
Q:その師匠からあなたは何を学び会得しましたか?
A:
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