父の死
母の死後、
母を追うかのように
膵臓癌の父の症状は悪化し、
危篤状態の知らせを受ける。
胸の中からどす黒く濁った怒りが込みあがり、
思わず叫んだ。
「何を言っているんだ!!!!
あれだけの事をしておいて死ぬなんて
絶対に許さない!!!!
もし、死ぬとしたら
この手で苦しめてから殺してやる!!!!」
般若のような顔で
何度も何度も何度も何度も
心の中で唱え
私達きょうだいは大阪へ向かった。
病院に着くと意識がない為、
ICUの病室にいると聞かされる。
会う時間は制限されており、
ICUの中に入るとベットの上で眠るように
横になっている父の姿があった。
いつもの顔には
眉間に皺を寄せ険しい表情をしていたが、
初めて見る穏やかな顔だった。
側にいると暖かく包み込まれている感覚がする。
父の身体と霊体となった父は
消えかかったコードで辛うじて繋がっていたが
微笑みかけた母と側で寄り添うように
二人一緒にいる。
『心、ごめんな。
辛い思いをさせてしまって本当にすまない。
心に言える立場ではないが、
他に分かる人がいない。
見てのとおり晶子も迎えにきてくれてる
お願いだから、このまま死なせてくれ!!』
「わかった。どうなるかはわからない。
でも、そうなるように説得してみるよ」
危篤状態は続き、
家族会議が行われた。
突然、善輝が大声で叫ぶ。
「おとぅが死ぬ?ふざけんじゃねぇぞ!!!!
楽にしなせてやるもんか!!!!
あんな奴なんで、
機械につなぎとめて一生苦しめばいいんだ!!!!」
暴れそうになるところを
私が抱きつき抑える
親族達のそれぞれの意見を聞き終わった後、
私の番となり重い口を開いた。
「蘇生はしないほうがいい。
本人も長い間、
病気になって苦しんできただろうから、
機械を使ってまで生かされても喜ばないと思う。
自然に任せた方がいいと思う」
話し合った結果、
蘇生をしないこととなった。
毎日、病院に通った。
善輝は黙ったまま私の側にいる。
花蓮は百合の長女テテが熱が出たと
叔父と小児科の病院に行った。
私と善輝と百合と三人になった時に
父の状況が急変した。
ベットに横たわる父と霊体となった父のコードが
炎が燃え尽きるかのように消えかかる。
父の隣は静かに微笑む母がいた。
『そうか・・・・おかぁが迎えに来ているね。
おとぅ、お疲れ様。
いろいろあったけれど、
最後にお別れや心の整理の時間を
作ってくれてありがとう。
ようやく親子として一緒に
過ごせたような気がするよ。
おかぁとゆっくりと休んで、
皆を見守っていてね』
父の手を握りしめ、心の中で呟いた。
その直後、穏やかな顔で静かに息を引き取った。
悲しいけれど、
今までの憎しみや怒りなどどす黒く濁っていたものが綺麗に洗い流されて、
身も心も軽くなり、
暖かく包み込まれている感覚がした。
おとぅ
おかぁ
私はおとぅとおかあの子供に生まれてきて
本当に良かった。
辛い時期もあったけれど、
今思えばより器が大きくなれた感じがするよ。
ありがとうね。
この身体を作っていただき
この命、大事に使わせてもらいます。
そして、
今苦しんでいる人達と寄り添い
沢山の人が穏やかになれる手伝いを
していきたいと思っているよ。
世の中捨てたもんじゃないね。
毎日が喜びや奇跡で感謝の日々を
送らせていただいてます!!
愛しき人愛しているよ
ありがとう!!
・三女百合の離婚と私と翼の離婚
父が亡くなった年に、
三女の百合と娘のテテは離婚後、
私の家庭に同居を始めていた。
月日が経つにつれ、
私は違和感を感じるようになった。
翼と百合がお互いに異性として意識しあう中に
なっていたことに気がつく。
始めは、気のせいだと思っていた。
大丈夫だろうと安心しきっていたが、
体の関係性はなくとも精神的に繋がりを感じた。
何度も何度もやり直そうと試みるが、
私と翼の心の距離は深まっていくばかり
修復は出来なかった。
嫉妬や妬みが溢れだしそうになった頃。
突然、ふっとフラッシュバックで
前世の頃の姿が見えた。
その頃の私は男性で戦争中。
深い傷を負い、
ベットから起き上がれない状態だった。
手足の傷跡からは蛆が湧き出ていく気持ち悪さ
物凄い痒みを伴う
「助けてくれ!!このまま死なせてくれ!!!!」
と叫ぶ中。
その時に介護してくれた男女が翼と百合だった。
婚約までしていたけれど、
二人は戦死して結ばれることはなかった。
「今度生まれ変われるのならば、
この二人の役に立とう!!」
そう強く思って死んだことを思い出した。
『そうか・・・
その恩返しが今なのか・・・。
だったら、心は身を引こう』
と離婚を決意した瞬間だった。
もちろん二人は猛反対したが
私は一度決めたことを覆すつもりはなかった。
翼と離婚して一か月後に二人は再婚し、
子供達は翼が親権を取り、
私はワンルームのアパートで
独り暮らしをすることとなった。
その後も百合の元旦那さんと友達からの
嫌がらせは続き車のタイヤをパンクさせたり、
家をグルグルと回ったりして精神的に怯えていた。
警察にも何度も何度も何度も何度も
相談したが見回るだけで、
自分達でカメラの設置やライトつけるようになってからはくることはなくなった。
現在百合は
素直に笑うようにもなり、
自分らしくいられるようになった。
そして、その後、
翼と百合との間に新たに三人の子供に恵まれ、
八人家族になった。
私は仕事が休みの時には
子供達を見に行ったりするご飯を作ったりする
日々を送っていた。
・弟善輝の死
三歳違いの弟の善輝。
いつも一緒にいて腰巾着のように
私の後ろをついて歩いていた。
幼い頃から虐待を乗り越えてきた同士の善輝。
私が薬物を手に入れ、
鞄から取り出し使用しようとした時も、
刺青を彫ろうとした時も。
『俺はやってしまった人間だから言える立場ではないが、ねえねえは絶対しないで!!!!
必ず後悔するし、
俺のような思いをさせたくない!!!!』
(薬物依存症で刺青を彫って後悔していた)
善輝は、
最悪な女になり果てていた私を
何度も何度も何度も何度も全力で止めてくれた。
当時、とある産婦人科の看護助手をしていた頃。
離婚したばかりで、一人暮らしをしている中、
酒に溺れアルコール中毒となり、
精神的にかなり病んでいた。
産婦人科で働けるようになってから最初の頃。
産まれてくる命に喜びに満ち溢れていたが、
一日の間に中絶や死産で失う命が
たくさんある事実を知った。
それが日常化していく中
胸が痛まない日がくることはなかった。
毎日のように昼休みには屋上に上がり
一人で泣いていた。
父が死んで2か月が経った頃。
仕事場に悲報の電話が鳴る。
叔父(父方の三男)が私と連絡が取れないと翼に電話し、私に連絡が届き善輝の死を知った。
頭が真っ白になり、
その場で足がすくみ立ち上がれない。
身体の震えも止まらない。
いつも私の後ろを歩き、
あの辛かった幼少時代も共に耐え抜いた弟の死を受け入れることが出来ない。
足元がガラガラと崩れ落ちていく….
何をどうすればいいのかわからない….
どうやって帰ったのか覚えていない….
気が付いたら、
仕事を早退し、祖父母(母方)の家に居た。
善輝が死んだ大阪には、
私、花蓮、百合と百合の長女のテテが行くこととなり
その日の内に飛行機のチケットを購入し、
大阪の祖父母(父方)実家に向かった。
実家に到着すると線香の匂いが流れてくる。
奥の部屋に白い棺桶が見える。
その中には白の喪服に包まれた善輝の姿。
夢であって欲しい願いは届かず、
現実へと引き戻される。
血の気の引いた顔で、
首を吊った
首は赤黒くなって紐の圧がかかった生々しい痕。
元々硬い髪そしてその足先まで冷たく、
重くて冷たくなった瞼を開いてみると
目の水晶体も白く濁り生気がない。
ボロボロと零れ落ちる涙が止まらない。
私と百合は善輝の側から離れることが出来ず、
花蓮は少し離れて見ていた。
遅れて沖縄から祖父と叔父(母方)がやってきた。
祖父は棺桶に入った善輝を見て泣き叫ぶ。
「善輝!!善輝!!馬鹿たれ!!
おじいよりも先に死ぬなんて
晶子と同じ道を選んで・・・・」
祖父を支えるように叔父が父方の親族に語りかける。
「今回はご愁傷様です。
若いのに残念です。
善輝は本当に優しくていい子でした。
休みの日には、
ヤンバルに行って畑の仕事も
手伝ってくれたりしてくれたんですよ。
善輝がいてくれたお陰で
どれだけ私達も助けられたか分からないです。
こんなに若くでなくなってしまうなんて・・・・
お悔やみ申し上げます」
「ふざけるなよ!!!!
ぬけぬけと心にも思っていないこと言いやがって!!!!
そんなに自分の好感度を上げたいのか??
善輝はおっちゃんのこと大嫌いだったよ!!!!
嫌がっていたのもきづかなかったでしょ。
学問もない、
落ちこぼれの心達家族に全く興味がないからね!!!!
早く帰れよ!!!!
善輝に指一本も触れたり近づくな!!!!
おっちゃんマジで早く帰れ!!指一本、善輝に触れるな!!!!」
「父ちゃん、善輝を見たでしょ?
もう此処に用はなくなったから帰ろう」
良いように喋る叔父(母方)に
対して怒りが込みあがり、
気がついたら身を震わせ怒鳴りつけた。
叔父は私を睨みつけながら、
無理やりに祖父を棺桶から引き離す。
祖父は泣き叫びながら帰っていった。
祖父には悪いと思ったが、
どうしても叔父が許せなかった。
善輝を火葬場の煙突から白い煙が
青空に舞っていくのを見ながら、
父が火葬された日を思い出していた。
あの時も晴れ渡る空を
善樹と一緒に父の火葬している煙を見ていた。
『ねえちゃん・・・・おとぅが空と重なっているよ』
『そうだね。
いろいろあったけれど、
ICUにいるおとぅと話ができた時
ようやく親子になれたよ。
心は穏やかな気持ちになっているさ』
『そうか・・・・
姉ちゃんがそう思えるようになって良かった。
俺はまだ、姉ちゃんみたいに思えないけれど、
これで良かったんだよね。
おかしいな・・・・
あんな奴死ねばいいと願っていたのに・・・・
涙が止まらないんだよ・・・・』
涙を拭い去り、
私の携帯を取り上げ空に
義輝自分自身の左手をかざし写真を撮る。
『何してる?馬鹿じゃない!?
自分のカメラで写せよ!!』
『俺、シスコンだから、
ねえちゃんの携帯で撮って置きたかったわけさ
ねえちゃん・・・・俺の生命線短いんだよね。
ねえちゃんは未来が見えた時にいつも語るさ
そこに俺はいるのかな?』
『何を言っているの??馬鹿じゃない!!
心の側から離れないお前がいないはずないだろう??
一緒にいるに決まっているさ』
『そうだよね・・・・
俺はその未来にも生きているよね・・・・』
本当は言えなかった。
私がいつも見ている未来に母と善輝の姿は無かった。
そのことを気にも留めていなかった。
絶対におばぁとおじぃになるまで
一緒にいると思っていたから
私の中途半端な能力に対して
不甲斐なさを感じずにはいられなかった。
他の人だったらまだしも、
私だったら死を察知することが出来たかもしれない。
善樹の自殺を止めたかもしれないのに
己の無力さに悔やんでも悔やみきれずにいた。
ゴミ同然のものエロ本
遺品も捨てることが出来ない
全て全部沖縄に持って帰った。
遺骨もワンルームのアパートに
持ち帰り手放すことが出来ない
職場と家の往復をし、泣き続ける日々を過ごす日々
誰にも会いたくなくて、
大好きなご飯も喉をに通らない。
善輝が亡くなった後、
半身がはぎ取られぽっかりなった心の空洞は
氷のように更に冷え切り冷たくなった。
何もする気になれない。
生きる意味さえ分からない。
残りの人生を歩む興味すらなくなっていった。
その間、ずっと支え続けてくれた、
百合とあずみねぇねぇが、
何度も何度も何度も何度も私の様子を
見に来てご飯を無理にでも食べさせ、
外に出て気を紛らわせてくれた。
どれだけ救われたのかわからない。
二人の存在と子供達が居なければ、
私は自ら命を絶っていただろう。
今でも兜が下がる思いで物凄く有難い。
そして、なんでも相談できる相手となっている
百合とあずみねえねえ
いつも見守っていてくれてありがとう。
善輝の死から1年が経った頃。
ようやく位牌をお寺に預けるようになった。
善輝
共に一緒に過ごせたこと
誇りに思い感謝している
小さい頃から
お前と比べられて
私はいつもお前に嫉妬をしていた
だから
唐辛子入りのおにぎり
塩たっぷりの水を作ったり
雪の日には
雪に埋めて
嫌がらせをしたね
あれは
お前の才能に
嫉妬していたから
お前よりも下だと
認めたくなかった
でも
それはどうでもよかった
一緒にいることで
たくさん学べたし
お前の偉大さに
兜が下がるよ
善輝の姉として
いれたこと誇りに思う
ありがとうな
もう転生してるけど
立ち直るまで
側で見守ってくれて
ありがとう
愛してるよ
たくさん愛してると言えること
全てのものが
愛おしくて
愛おしくて
愛おしくて
愛おしくて
たまらない
たくさんの感情を
味あわせてくれて
ありがとうございます
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