2019年7月31日水曜日

最後の転生~実録自伝<蓮友心>~31 人間29年目「妹次女花蓮の自殺未遂」

知的で異性からも人気のある魅力的な次女の花蓮とは、
幼い頃からそりが合わなかった。



私が翼と百合をそそのかして
一緒にさせたのだと
母方の親族達に言い聞かされ、
私たちの間の溝は深まるばかり、
更に仲は悪化した。





善輝が亡くなり数日が経った頃。
一人暮らしをしているはずの花蓮から
電話がかかってきた。



「ねえねえ・・・ごめん・・・・・」


「花蓮どうした?何かあったのか??」


「薬、大量に飲んじゃった・・・・」


「今家にいるのか?
 電話ができるんだったら
 今すぐに救急車に電話して病院に向かって!!
 心は花蓮の住んでいる場所が分からないから
 何処の病院に行くのかを教えて!!
 今からそこに向かうから早く救急車に電話するんだよ」



急いで車に乗り込み高速の道から、
とある病院へと向かった。


病院にたどりつくと
救急のベットの上でぐったりと
横になっている花蓮の姿を見つけた。



「良かった。生きていてくれて、
 本当に良かった。花蓮、大丈夫か?」


「うん。ねえねえしか頼れる人がいなかったから・・・・
 電話したごめん」



「何を言っている。
 困ったときは、お互い様だから気にするな。
 一人で苦しんでいたんだな。
 気づいてあげれなくてごめんな。

 でも、自殺は二度とやってはいけないからね。
 おかぁと善輝の件で、
 生き残った人の気持ちは痛いほどわかったはずだよ。
 悲しむ人がいることを忘れないで、
 花蓮は一人じゃない
 私がいる」


 泣きじゃくる花蓮を見た時。


『守らないといけない』


愛おしく思った。
今まで会話もろくにしたことがなく、
不安もあったが、
花蓮一人にすることなどできなかった。
それから、
私と花蓮との共同生活が始まることになる。





一緒に住み始めてからというもの
喧嘩やお酒を飲み明かしたりする日々を送る中、
お互いの誤解を解くかのように、
ちゃんとお互いに向き合い想いを伝え二人で泣いた
二人一緒に助け合いながら
生活をやりくりしていった。



一緒に住んでいた二年と少しの間の半年間
私は本土の季節労働で
家を空けていた時期もあったけれど。
今思えば、花蓮と一緒に過ごせた時間は
とても貴重なものとなっている。


その後、花蓮は愛する人との出会い。
花蓮の長年の夢だった、
優しい旦那さんや子供にも恵まれ、
新しい家族が出来て本当に良かったと思う。

0 件のコメント: