翼のお母さんである絹子お義母さんは、
40代の頃に発症したリュウマチで、
私と出会ったときは既に
体が思うように動かなくなっていた。
人の手助けが必要だったが、
ベットで座ったり歩く事やトイレに入ることは
一人でも出来ていた。
龍がお腹に居る頃、
貫太郎お義父さんが亡くなり、
少しづつ元気を取り戻そうとリハビリも兼ねて
家の庭を一人で散歩していた時、
足をつまずき寝たきり生活へとなった。
施設にいた時や自宅介護をしていた時も、
絹子お義母さんと
沢山話をしていろんなことを教えてくれた。
今思えば、
私が絹子お義母さんの介護をしていたが、
実際介護されていたのは私自身だった。
喧嘩もいっぱいした。
でも直後にはお互いに
「ごめんね」
と言い仲直りするのも早かった。
周りの人には本当の親子に見られていた。
この時は、風俗の仕事をやめ、
献身的に絹子お義母さんの介護に徹していた時期
お母さんと一緒にいるだけで
あるがまま
ありのままの私でいられる
甘えられることが嬉しかった
介護が楽しいと思えた時であった。
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