私が27歳になった頃、
祖父母(母方)の家に
子供達を連れて行ったとき、
いつもと違う母がいた。
「心、27歳になったんだね。
こんなに大きくなって・・・・。孫
もみれてウチ(母)は幸せ者だなあ。
ウチが家まで送ろうか?」
「何があった??気持ち悪いなあ!!
タバコ買って欲しいの?」
「なんでもない(笑)
ただ言ってみたかっただけ。
心、いつもありがとうね。」
寂し気に笑う生前最後の母の姿だった。
その年の年末12月20日。
妙な胸騒ぎがする。
“早く母にあわなきゃいけない!!!!”
妙な胸騒ぎ身体が冷や汗が流れ落ちる。
急いで母の家へ翼と一緒に向かった。
家に着くとドアや窓は閉まって電気はついている。
人の気配は感じられず、
周りの空気がひんやりとした空気が流れ
物凄く嫌な感じがする。
冬なのに冷や汗が止まらない。
隣の部屋の住人に事情を話し、
裏に通らせてもらった。
ベランダのドアも開いていない。
カーテンも閉まって辛うじて部屋の様子が伺えるが
変化が感じられない。
『ヤバイ!!!! マジでヤバイ!!!!
物凄く嫌な感じがする!!!!』
以前にも自殺未遂は何度もやっていたから、
念のために警察と救急車を呼んだ。
両方ともすぐに駆け付けてくれたが、
それでも返答は無く。
キッチンの窓ガラスを割って中へと入り、
玄関を開けて私も家に上がった。
奥の寝床に人影が見える・・・・
ベットの上で壁に寄りかかるように座り込んだ母の姿。
体中の穴から血と体液の入り混じった液体が出て、
部屋中に広がる腐敗臭が漂い、
青白く変わり果てた母がいた。
頭の中が真っ白になり、
何があったのか理解できない私に警察官が聞き込みしてくるが、
何を言っているのか分からない。
気が付いたら外に出されいる
涙を流しているが声が出ない。
身体の震えも止まらない。
『私がしっかりしなきゃ!!
みんなに電話しなきゃいけない!!』
力を振り絞り、
祖父母やきょうだい達に連絡する。
暫くすると祖父(母方)と叔父がきた。
「心、何があった?」
「わからない。
でも、胸騒ぎがして
おかぁの所に来たら死んでいた」
「晶子!晶子!親より先に死ぬなんて親不孝者!!」
「おじい・・・・
解剖しなきゃいけないから警察官も困るよ。
後で おかぁに会えるからもう少し待とう」
死亡解剖の為、警察署へと運ばれていく。
母の屍にしがみつく祖父に
溢れ出てくる涙を必死堪えて祖父に話しかけた。
検視も終わり、
腐敗臭のこもっていた部屋の片づけをしていった。
ベットのシーツは大量の体液が広がっていた。
遅れて次女の花蓮が来る。
「臭いんだけど・・・」
「お金になるやつは、花蓮がもらったらいいさ」
次女花蓮の言い放った言葉と
叔父との会話を聞くだけでも
無性に腹が立つ
お金にならない
遺留品はすべて捨てようとしていたが、
ごみ同然のものでさえ私には
どうしても捨てることは出来ず引き取ることにした。
母が死んだことを何もなかったかのように
なってしまうと感じていたから
母の死後、
遺品を整理中に黒くてボロボロの手帳見つけた。
中には離婚した後も父とやり取りが書かれている
『おとぅに会いに行こう』
きょうだい四人と子供たちを連れて大阪へ向かった。
久しぶりに再会した父は
膵臓癌を患いやせ細り、
幼い頃に見えていた大きな背中は小さくなっていた。
はじめて、
孫の姿を見せると凄く喜んでいた。
母の最期に撮った写真を父に手渡す。
父は小さくなった肩を震わせ
母の写真を頬に押し当て、
声を押し殺しながらも
耐えていた涙が一気に溢れ出して泣いていた
「晶子・・・・晶子・・・・」
聞き取ることが出来ないの小声で
母の名前を呼び続ける父の姿
ただただ見守ることしか出来なかった。
数日間大阪に滞在し、
父とは沖縄に帰ってからも
何度か電話をかけて他愛ない話をするようになった
9歳年の離れた末っ子である百合は私が名付け親。
父や母との思いでがない百合にとって
私は親代わりで子供同然のように可愛かった。
百合が17歳の頃。
できちゃった婚で長女のテテが産まれた。
嫁いだ家先で家族ぐるみのDVが行われ、
はたからは、
わかりずらい環境の中、
家から出ることも許可が無いと出ることさえ
自分で判断できなくなっていた。
私達の母が亡くなった後、
益々百合に対するDVは醜くなり、
私たちきょうだいにも会えない状態が続く。
私の直感が何かがおかしいと感じた。
何度も何度も百合の家に通いつめて問い詰めた。
百合は怯えきり、
無表情で生気を感じさせない虚ろな目。
幼い頃の末っ子だった百合は
周りの人を明るくする太陽のような存在だった。
ムードメイカーで笑顔が絶えなかった。
当時の面影を感じさせないぐらい
窶れ果てて笑顔が消えた。
幼少時代の私の姿が重なって見えた。
嫌がる夢の服を無理やり脱がすと
見えない所に複数の青痣があった。
「(旦那さん)たまに殴ることがあるけれど、
その後ちゃんと謝ってくるんだよ。
だから良い人なんだよ」
「良い人が殴るわけないだろう!!
早く分かれた方がいい!!」
「本当は優しい人なんだよ・・・・」
私の目を見ず、
下を向きながら話をする百合に対して違和感を感じる
『このままでは百合が危ない!!』
と思いたち、急いで荷物をまとめて、
百合とテテをショルダーに匿ってもらった。
それから、裁判を起こして離婚することが出来た。
行く当ても無い百合は祖父母(母方)の家に
暮らすこととなった。
DVの恐ろしさも知らない祖父母は、
世間体を気にするばかりで、
百合達を一切守ろうともしなかった。
「百合は何も悪くない!!
だったら私が百合たち親子を見る!!
それだったら文句はないでしょう!!」
私は百合の苦しんでいる姿を
見るに見かねてほっておけなかった。
それから私達家族と一緒に暮らすこととなる。
その時はこれがきっかけとなり
私達家族を大きな変化をもたらすことになろうとは
予想もつかなかった。
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