2019年12月24日火曜日

最後の転生~実録自伝人間<蓮友 心>~33 人間31年目 「沖縄へ 母方家族との確執」

沖縄に帰ってきてからも、
祖父母や親族達の態様は相変わらず
いや更に
私に対する扱いは険しくなっていた。


祖母の症状は、
日に日に悪くなる一方、
新しい厨房での仕事も決まり、
休みの日は百合の家と祖父母の家へと通いつめた。


祖母はマッサージしたり、
ご飯を作っても祖父母達は嫌な顔をしていた。




「おばぁまで病気にしやがって!!
晶子と善輝を殺した
お前たちには一銭たりとも私の財産は渡さない!」


「ここまで育っててやったのに、
これ以上何を欲しがるんだ!!」


「この恥知らず!!
私たちが死ぬのを待っているんだろう!!」


「味が薄すぎて食えたもんじゃない!!
さっさと全部捨てなさい!!気持ちが悪い!!」




行く度に言われた。
それでも気にしないようにしていた
笑顔で普段通りに接していた
ベットで寝ている祖母が私を睨みつけて言う



「お前を愛することは出来ない。
晶子を不幸にした
秀に似たお前だけは愛することは出来ない。
憎くて憎くて仕方がない!!」


「おばぁ。それでも良いよ。
心がおばぁのことを大好きなだけなんだから
心のことを気にしなくて良い
心は、おばぁの笑って笑顔が好きなんだ。
元気におじいと一緒に笑っていて欲しいだけだから
また来るね」




そう言い残し家路と戻った。
何を言われようとも何をされようとも
平常心を保とうと心がけていた。

確かに借金だらけで経済的に苦しいが、
何よりも遺産目当てで祖父母の家に
来ていると思われるのが辛かった。



 『遺産なんていらない!!!!
おじぃやおばぁ達は
誰かを憎まずにはいられないのだろう・・・・
それで元気になってくれるのならば、
例え憎まれ役になったとしても心は報われる』



何度も何度も自分に言い聞かせ、
普段道理で祖父母達と接する日々を送っていたが、
私の願いも虚しく祖母は病室で
静かに息をひきとるように
私を含めた親類達に囲まれ他界した。




遺産相続の話も
私達姉妹には聞かされることも連絡もないまま。
名前と判子を押せと百合伝いに
書類を手渡され
言われるがまま判子を押し
百合に再び渡す


数日が経った頃
私たち姉妹達に
母の相続分16万円を遺産配分として、
私は百合から手渡された。

聞かされたのは
祖母には1000万以上のお金があったこと
でも
私の耳には入ってこない

他の相続配分なんて何の興味などない。
祖母が亡くなったばかりなのに
遺留品を奪い合う
ただ、上辺だけの家族のあり方に虚しさを覚える。




祖母が他界して、月日が経った頃。
曾祖母が娘の祖母の後を追うかのように他界した。
曾祖母が亡くなったのを知らされたのは
49日も終わり


「遺産相続に必要な書類いお前達の名前と住所が必要だから教えろ!!
お前達の遺産は無いと思っておけ!!」


母方の叔母から
百合づてで聞かされた。

時間が経った後に言われて
サヨナラさえ言えなかったことが悲しくて、
怒りがこみあげてきた。


その後も何事も無かったかのように
何の音沙汰もなかった。



それでも、百合は子供達を連れて祖父の家に通った。
遺産が欲しいわけじゃなく
祖母が亡くなった祖父のことが心配で
孫の顔を見せるだけでも元気になると思っていた。

私はもういいと二度と祖父母の家に
行くことはなかった。




ある日、百合と4人の子供達、七瀬と龍が
祖父の家に遊びに行った時の出来事。

私はその場にいなかったもの、
百合や七瀬とテテから話を聞いた。

祖父が子供達に対して理不尽なことを言っていたと


「あんた達の両親(翼と百合)や心は悪魔なんだよ!!
テテではおじぃの所にきて、
他の子供たちは来るんじゃない!!
気持ち悪い!!汚らわしい!!近づくな!!」



物凄い形相で怒鳴りつける祖父を見て、
懐いていたテテでさえ祖父の側に寄り付くことを
拒むようになった。


皆泣いていたらしいけれど、
龍は怒りに震え、抑えるのに必死だった。
それから、直ぐに帰ってきた。



次の日、私は百合達に会うことになっていた。
皆の目は赤く腫れている。
沢山涙を流した痕だった。
経緯を聞くとテテが口を開いた。


「おじぃはママとチャン(私の愛称、叔母ちゃんの略)のことを悪くいう。
あんなくそじじぃの家に行きたくない!!」


「おじぃのことをくそじじぃと言うな!
おじぃとおばぁが居なかったら
テテは生まれてこなかったんだよ。
テテ達に辛い思いをさせてしまってごめんな。
でも、どんなことを言われても
悪い言葉を人にも自分にも使ってはいけないよ。
自分やったことは自分に返ってくるからね。
おじぃはとっても苦しいんだよ
難しいと思うけれど悲しんでいるだけだから」


「うん。わかった。
でも、ママをいじめるおじぃの家には
テテは行かない」


「そうだね。無理していかなくていいよ」




私がどう思われようと言われようと構わないが、
翼や百合と子供達までそんな扱いを受けられていることを知った時、我慢の限界に達してしまった。

“二度とあの家には行かない!!“

頑なに決意した。
0か100かの私の人生
一度決めたからには引き返すことはない。





それから数年の月日が流れ、
一人名護までドライブをしていた時、
突然祖父に電話をして思いを告げようと思い立つ。


広い駐車場へと車を止めて、
久しぶりに祖父に連絡をした。

着信音が鳴り響く中、
身体の震えや汗が止まらず電話越しで

「はい」

という祖父の声を久しぶりに聞いた。


「おじぃ。心だけど。
少しの間で良いから心の話を聞いて欲しい」


何も答えはしないが
怒りが込みあがっている雰囲気が感じ取れる。
そのまま喋り続ける


「迷惑ばかりで心配をかけてしまって
本当にごめん。今まで育ててくれてありがとう」


「お前たちは絶対に許さない!!
晶子や善輝とおばぁが死んだのも、
みんなお前のせいだ!!
心配ばかりけたからおばぁは癌になったんだ!!
例えおじぃが死んでも許さん!!
二度と汚い顔を見せるな!!
お前達とは縁を切る。
これからは自分の道を歩みなさい!!
私とお前達のことなど一切関係ない!!」


「うん。分かった。
でも、これだけは覚えていて欲しい。
おじぃが心を憎んでいても、
心にとっておじぃは大事な大切な人だから
笑顔でいて欲しい。
これから先、二度と会えなくても、
おじぃが心穏やかになれる日が来ることを願っているから元気でいてね。
話を聞いてくれてありがとう」




話が終わると静かに電話を切る祖父。
あんなに怒られ怒鳴られていたのにも関わらず。
祖父がどれだけ祖母のことを愛していたのかと言う感情がひしひしと伝わり。
この人達の血筋を引くことができて良かったと
心から思った。

周りの空気は暖かく私を包み込む。
今までの身体の重みがうそだったかのように
軽くなった。
祖父母達に感謝の気持ちを噛み締めながら
家路へと帰る道のりはやけに清々しかった。



それからも
通るたび
誰もいないから
祖父の好物である
あんぱんと金ちゃんヌードルを
買っては玄関のノブにかけて置いて帰っていた


ある時
監視カメラをつけるようになってからは
祖父の家に二度とよることはなくなった





頭がおかしいと思われるかもしれないけれど。
未だに私が百合を洗脳していると思っている
母方の祖父母や親族と花蓮のことは大好きだ。

おそらく、心の拠り所がないまま、
どうしようもない怒りを誰かにぶつけることで
今の自分を保てないのだろうと思うと
私にはどうしても相手を責めることなど出来ない。


だからと言って、自分が傷ついてまで、
犠牲となってまで一緒に寄り添うなどとは思わない。
非道だと言われても構わない。
でも気がついてしまったことに対して
見て見ぬふりはできない。

私自身を大事に
扱ってくれない人達の輪の中に入って
大丈夫なふりをしつづけてまで自分のことを
傷つけたくない
どんな自分でも100% 
一番自分を大事にしてあげられるのは
自分自身だから


今まで私のことはどうでもいいと
私の身体と心を押し殺してまで
人のことを優先にしてきたからこそ、
そう思えるようになった。



いろんな出来事が起きて
辛い時期もたくさんあったけれど、
自分や人を許せるきっかけを作ってくれて良かった。


心をこの世に誕生させてくれて、
少しでも愛情を与えてくれて
いろんな感情を味あわせてくれてありがとう。
貴方達のお陰でほんの少し器が大きくなれたことに
感謝します。

生きている間、
相容れないかもしれないけれど
離れていても
ずっと愛している
どんなときでも
いついかなるときでも
母方の祖父母と親族や花蓮のことを
心より
信頼し
応援し
心穏やかに幸せになることを願っています。


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