二月に弟善輝が誕生した。
私は三歳になった時だった。
決して裕福な家庭でなかったが、
愛情たっぷりとかけられて育った。
私たち家族親子4人は
祖父母の家からも近い
曽祖祖父母の家の隣の借家で暮らし始めた。
父秀は異性にモテていた方だと思う。
誕生日やバレンタインデーなどには女性からの段ボール二箱分のプレゼントを家に持って帰ってきた。
バレンタインデーの時には箱いっぱいのチョコレートを食べられるのが凄く嬉しかった。
頭も良く、運動神経も良く、容姿に長けた父は、今思えば魅力的な男性だったのだろう。
しかし、過保護に育った為なのか、人一倍プライドが高く、
人の下で働く事やコミュニケーション能力に欠けていた。
その為、他人となじめなくなることも多々あり、一つの仕事だけを続けていく事が困難だった。
一方、母晶子は両頬に笑窪が出て、太陽な笑顔で誰からも愛されるような人だった。
母の周りには人が絶えず、太陽のように人を和ませ愛嬌のある女性だった。
専業主婦の仕事の配分など
常識的なことがわからない
甘えん坊で一人では何も出来ないお嬢様育ちの母
縫物が得意で夢中になると時間を忘れてしまい
善輝が高熱を出ていても気づかないこともあった。
しかしながら、その頃、父の仕事が上手くいかなくて、
そんな過程で大阪に移り住むこととなった。
大阪には父が他の祖父母や親せきが以前から住んでいた
近くにあるアパートで生活することとなる。
ここから
人間世界へでの
身体をもつこと
自我をもつことでの
試練
すいもあまいも
味わう尽くす
人生が始まり
一歩一歩と歩き出していく
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